防災コラム
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元教師が学習ボランティアで学んだ「本当に必要な支援」とは――学校現場から震災の被災地へ。
2026/04/10
2011年4月。私は、幼い頃からの夢だった教師になるべく、一念発起をして、社会人から中学校の英語教諭に転職をしました。
教師として慌ただしい毎日を送るなか、2011年8月には、初任者研修の一環として東日本大震災の被災地へ学習ボランティアに参加。瓦礫が残る町並みと避難所生活の子どもたちの姿に、胸が締め付けられる思いでした。なかでも「高校受験を諦めず学び続けたい」と強く願う子どもたちの前向きな姿勢は、支援の本質を深く考える原点となりました。
この記事では、新米教師だった私が被災地での震災ボランティアを通して学んだ「本当に必要な支援」について紹介します。
目次
震災ボランティアに参加したきっかけ

社会人として仕事に追われる日々を送っていた筆者ですが、社会人4年目に「もっと新しい分野に挑戦したい」「教育に携わり、多くの子どもたちの成長をサポートしたい」という想いから教員へのキャリアチェンジを決意。教員採用試験に晴れて合格を果たし、2011年4月に某政令都市の中学校で英語教諭として新たな一歩を踏み出しました。
赴任から間もない2011年8月、初任者研修の一環として東日本大震災の被災地での学習ボランティアに参加することに。1週間、宮城県の日本三景として知られる「松島」や港町「塩釜」などを拠点に活動するというものでした。
初任者研修とは、新任の教員が指導力や社会性を養うことを目的に、授業の見学や実地研修を行う制度のことです。教壇に立つための基礎を学びながら、教育を通じて社会貢献のあり方を考える貴重な機会でした。
もちろん、震災直後の被災地に赴く研修は例年にはない取り組みでしたので、出発前には現地の被災状況や被災した児童たちの心のケアについての講義を受けました。講義中には、プレハブの避難所生活を続ける生徒、親を亡くした生徒、津波で先生や友人を失った生徒も多くいると知り、胸が張り裂けるような思いをしたことを今でも鮮明に覚えています。
現地の学校からは、「つらい記憶がフラッシュバックする恐れもあるため、震災の話題にはできるだけ触れないでほしい」というリクエストがありました。子どもたちが心に深い傷を抱えながらも日常を取り戻そうとしている現実を知り、「どのように寄り添えばよいのか」と不安を覚えましたが、被災地の現実を真正面から受け止めて「少しでも子どもたちの力になろう」「被災地での経験を自分が受け持つ生徒たちにも伝えよう」と気を引き締めて現地へ向かいました。
甚大な被害を目の当たりにし、子どもたちとの向き合い方について悩まされる

深夜、ボランティアに参加する教員たち数十名が集合し、チャーターバスに乗り込んで被災地へ向かいます。バスの中では、不安と緊張を和らげようと、配布された資料や現地でのスケジュールを必死に確認しながら過ごしました。
早朝、現地に到着しすぐに案内されたのは、被害の大きかった海沿いの「女川エリア」でした。
かろうじて車一台が通れるようにゴミや瓦礫が道路の脇に寄せられているものの、街は震災後からほとんど手つかずの状態。工場の機械やダンプカー、鉄道の線路までもが押し流され、5〜6メートルもの高さまで積み上がった瓦礫の山の数々が、震災の被害の大きさを物語っていました。
その光景を目にした瞬間、胸が強く締めつけられ、涙が止まらなくなってしまいました。
事前に「被災のことにはできるだけ触れないでほしい」と伝えられてはいたものの、悲惨な現実を前にして「子どもたちと自然に接することができるのだろうか」という不安で頭がいっぱいになりました。それと同時に、この状況から逃げずに子どもたちと向き合う決意が必要だと、自分自身に言い聞かせたのを覚えています。
「新米教師としてできることは限られていても、目の前にいる子どもたちのために精一杯サポートしたい」という気持ちが強く芽生えた瞬間でした。
ボランティア活動をするなかで強く意識したこと

私が参加した震災ボランティアの主な内容は、現地の子どもたちの学習を補うことでした。
具体的には、震災によって十分に学べなかった単元を教え直したり、生徒たちが苦手としている分野を振り返って復習したりと、学習の遅れを少しでも取り戻すことが目的でした。
学習ボランティアの会場は学校の敷地内が多く、体育館の一角を使う学校もあれば、砂利が敷かれた屋外に机と椅子を並べただけの学校もありました。震災から5ヶ月近く経っても復興が進んでいない現状を目の当たりにし、やりきれない思いに駆られたことを覚えています。
そんななかで私が特に意識したのは、「被災者というフィルターを通して子どもたちを見ないこと」でした。
「被災者ではなく、一人の生徒として向き合うこと」
「子どもたちが少しでも言葉を発してくれるように寄り添うこと」
「一瞬でもつらい記憶を忘れられるよう、楽しい時間を一緒に過ごすこと」
こうした思いを胸に、私は被災地での学習ボランティアに臨みました。
そして、子どもたちが震災のことを話したいときには、その気持ちを受け止める覚悟で向き合うと心に決めたのでした。
「勉強したい!」と輝く子どもたちの瞳に心を動かされた

震災ボランティアの期間中、被災地の生徒たちは、それぞれが教えてもらいたい教科の担当のもとへ足を運び、思い思いに学習を進めていました。
私は英語科を担当し、希望する生徒を随時受け持ちました。1コマは50分ほどで、午前・午後にそれぞれ2〜3人ずつ指導しました。
授業を始める前に、得意・不得意な分野を簡単にヒアリングし、持参した教材から、生徒に合わせてカリキュラムを組みました。
最初は距離を感じる子もいましたが、日を重ねるごとに打ち解けていき、次第に笑顔を見せてくれるように。休み時間には部活動の話や好きな子の話、好きな芸能人の話など、同年代の子どもたちと変わらない無邪気さを見せてくれました。少しずつ子どもたちとの距離が縮まっていくのを感じてうれしくなったことは、今でも忘れられません。
一時は義務教育を受ける権利さえ奪われかけた子どもたちのなか、高校受験を控え、不安な気持ちを抱えている生徒も少なくありませんでした。
特に印象的だったのは、家族と避難所で暮らし、津波で教科書や教材を失った中学3年の男子生徒です。地域の強豪校の野球部に入りたいという夢を抱き、受験勉強に一生懸命励んでいました。
年頃の男の子らしく、最初はなかなか心を開いてくれませんでしたが、2〜3日目には自ら質問したり、「模試の点数を上げるには何をすればいいか」と相談してくれたりするまでに距離が近づいていきました。
苦手な文法や長文読解の課題を少しずつ克服していくうちに、「できた」という小さな成功体験が積み重なり、大きな自信へとつながっていきました。最後のほうには、その表情にも達成感や希望が感じられるようになり、私も心からうれしくなったのを覚えています。
最終日には「絶対に高校受験、合格します!」という力強い決意と感謝の気持ちが綴られた手紙を渡してくれ、とても胸が熱くなったのを覚えています。彼のまっすぐな努力と前を向く姿勢は、今でも忘れられません。
「勉強を頑張りたい」という純粋な気持ち、そして心の底から学びたいという熱い思いから目をキラキラと輝かせている子どもたちの姿がとても印象的でした。
被災地・被災者が本当に求める支援とは

被災地や被災者が求めている支援は、必ずしも物資やお金だけではありません。
もちろん生活に必要な物資の供給は欠かせませんが、それ以上に必要とされているのは、「子どもたちが安心して日常を取り戻せる時間」や「自分の存在を受け止めてくれる大人との関わり」です。
私が参加した被災地ボランティアを通して、子どもたちの学習を支えるのはもちろん、目の前の子どもたちが安心できる時間や環境をつくることの大切さを強く感じました。
ただ勉強を教えるだけではなく、何気ない会話や笑顔でのやり取りが、子どもたちの緊張をほぐし、まっすぐ前を向くための力につながると実感しました。
この被災地ボランティアの経験は、「子どもたち一人ひとりの成長に寄り添いたい」という私が教師を目指した原点を思い出させてくれるものでした。
出産や妊娠をきっかけに教師の道は離れたものの、被災地で学んだ「寄り添う支援」の大切さは、今でも私の心に強く刻まれています。
ただ与えるのでなく、そばに寄り添い、現地の方たちの声に耳を傾けるといった姿勢こそが、被災地や被災者が本当に求めている支援。被災地ボランティアでの学びを胸に、どのような立場にあっても人に寄り添える姿勢を大切にしていきたいと思います。
※掲載している写真の一部は、東北地方整備局震災伝承館事務局様の許可を得て転載しています。
東日本大震災の記録を後世に伝え、「悲劇を繰り返さない」という願いのもと、防災力の向上を目的として公開されている貴重な資料です。
本記事もその教訓を防災に活かす一助となることを目的としています。
Ricca
フリーライター兼幼児英語教室運営。元中学校教諭。
小学5年生と2年生の男の子を育てる2児の母。
東日本大震災後に、公立中学校教諭として現地に出向きボランティア活動に従事。
現地の子どもたちと関わり合いながら、教育面でのケアだけでなく、心のケアにも注力。